9.26

渋谷の並木橋のあたりで仕事。この辺は渋谷らしくなく、代官山あたりの匂いも僅かに残しつつ、恵比寿のような硬さもあったりするのだが、そこまで綺麗なもんでもなく、やっぱり渋谷は渋谷でしかねーわという感じの独特の風合いのある街。橋の下にはお世辞にも綺麗とは言えない川が流れている。外で休憩をしながらボーッとその川を眺めた。こんなシーンが映画にでもあるならば、やはりタバコの一本でも無くては絵にならないが、あいにく俺は非喫煙者なのでそそくさと室内に戻った。


タバコでも始めてみようかと思う日がある。実際にちょっと買ってみて吸ってみたこともある。それなりに吸える。まったく身体に合わないなどということもない。だが続くことはない。意味が見出せないのだ。そして、意味のないものに意味を見出している人が大人なのだ。つまり俺はまだ子供なのだ。

いつまでもいつまでも憧れを追い続けているような日々で、俺もいい歳なのだが、そうなると当然周りも同じように毎年必ず歳をとっていくわけで、つまりは俺は永遠に追いつかないということだ。周回遅れ。いやそもそも走ってるレースが違うようだ。

遠くから見続けるだけでは、なんとも寂しいものだ。

9.23

友人の結婚式に行ってきた。どうでもいいのだが、どうでもよくない。

センチメンタル過剰だったと言える。俺ら、毎日毎日飲んだくれていた。歌い騒ぎ、クソみたいな朝日を見た。その時間が永遠であったと信じたい。永遠とは何か。ひどく曖昧なものだ。本当の意味での永遠は、無いと思う。存在しないと思う。だが、こうして脳裏にこびりつくあの日々は永遠に最も近いと、俺は思う。悲しいな。悲しい。俺は俺でしかない。そう強く思う。生きるとはそういうことだ。自分に言い聞かせる。強く。だれも肯定なんかしちゃくれない。空気のように漂うだけ。俺は俺でしかない。

思い出作りなんてまっぴらごめんなんだ。昔話なんかいらない。俺たちこれから何でもやれるよ。いくらでもやれるよ。祈りなんか捧げなくたって分かってるだろう。わかる。

9.18

幼稚園と小学校で9年間一緒だった友人の結婚式に行ってきた。現在ではほとんど交流もないので、二次会からだけれど。久々に会った友人は相変わらずで、会えて良かったと心から思った。もう少しゆっくり話をしたかったけれど、あのくらいでも良いのかもな。新婦さんに、小さい頃一番仲が良かったんだ、と紹介してくれていて、嬉しかった。


何人か懐かしい人たちが集まり、そこのみんなはFacebookか何かで一応連絡を取り合っているらしいから動向は知っていたりするみたいなのだが、俺はやってないので本当に驚かれた。こんな久しぶりの再会は確かに楽しいのだけれど、独特の緊張感をほぐす為に、つい酒に手が伸びてしまう。これがいけない。


二次会終わり、それぞれ帰る流れになったので俺は、結婚式とは別の先輩に連絡すると飲んでいるというので合流しに行く。

この時点で、そこそこ酔っていたので千鳥足で向かう。電車の窓に映る顔が赤い。俺は酔ってもあまり顔には出ないのでかなり珍しい。


21:20頃。浅草橋の飲み屋に入ると、気の知れた先輩たちと以前ROVO野音で会った知人たちが。これにもまた気を良くしてしまう。ホッピーを一杯注文した。


と、ここまでは覚えているのだけれどここから見事に記憶が無い。何を話したか、確かに店の雰囲気や席の感じ、みんなの表情なんかはやんわり覚えているのだが、それ以上は思い出せない。そして店を出た記憶がなく(お金を払った記憶もない)、次に気がついたのが秋葉原の駅だと思う。エスカレーターに乗っていて、俺はメガネを落とす。フラついたまま駅員に、メガネの落し物がないか尋ねたりなんやり、気に入っていたメガネだったので無くしたくなく、30分くらいウロウロしていたと思う。すると後ろから駅員に肩を叩かれ、メガネを見つけてくれたようで、礼を言ってまた帰路。ここからまた記憶がない。

次の記憶は、恵比寿。きっと秋葉原に出てしまったので、山手線で帰ろうとしたのか?浅草橋からなら地下鉄ですぐ帰れるのだが、本当に酔っている時の行動は理解ができない。

恵比寿のホームで、俺は急に気分が悪くなり、しゃがみ込んでいたと思う。駅員が、大丈夫ですかー?と声をかけていたと思う。そしてゲロを吐く。これは覚えている。スーツのネクタイにかかってしまったが、すぐ避ける。かろうじて、スーツは汚したくないという意思が働いていた。

吐いてしまうと少し頭が冴えて、駅員もいつの間にかいなくなっていたので、その隙に俺はネクタイとジャケットを脱ぎ抱えて、来た電車に飛び乗った。

渋谷まで出て、そこからはまっすぐ家に帰ったはず。家に着いたのは25時前だった。


家で電話を確認すると、22:40ごろには先輩から電話がかかってきていて、23時にはちゃんと帰れたか?とメールが来ていたので、おそらく浅草橋の店には1時間ほどしかいなかったのだと思う。一人で店を立った可能性が高い。(俺は本当の泥酔状態になると寝たりはせず、いきなり黙って帰宅するらしい…)


今日は二日酔いにやられながら、家でひたすら寝ていた。スーツのクリーニングを出さなくてはいけない。今週末は、なんとまた結婚式があるのだ。それも大学で一番良くしてもらっていた先輩の結婚式で、式から参加する。さすがにここでは気持ち良いラインで抑えなければ…。


恐ろしい。ひたすらに愚かである。記憶がないのが、一番怖い。どこかで寝ていたとかいうのならまだいいが、しっかりと起きて移動しているというのが、ホラーの域である。

とりあえず無くした物はなく(大概こういうときは携帯や財布を落としたりする)、無事帰れたので良かった。

後日、浅草橋で飲んだ人たちに詳細を確認しなくては…。早く笑い話にでもしたいのだけれど、なかなか気が滅入る。子供の頃、ホームでゲロ吐いてる酔っぱらいにだけはなりたくなかったなー。などと。




9.14

「用和為貴」という言葉を知る。面白い言葉だー、意味は超シンプルだけれど。

今日はちょっと良い曲が作れて満足。充足感。この感覚を維持、及びこの感覚を得るための尽力が、俺の平坦な毎日の中の音楽といえる。ライブやなんやが全てではない。

9.13

レディー・ガガの病気での活動休止の報。

どんな人間でも病気とは戦っていかなければいけないのだな。普段あんなに元気に笑ってる人も、家では少し溜息をつき、自分に降りかかったソレを少し恨み、でもそんなことも言ってられず。みんながみんな、そんな一面を抱えている。

 

敬愛するシンガー、倉内太氏の曲で病気と結婚という曲があったとボンヤリ思い返す。

ドクターペッパードクターペッパージュース 永遠に消えないお前の香り”

9.11

ダサくていいのかも、としょっちゅう思う。おしゃれはしなくていいのかも、と。それはおしゃれぶってると鼻につく、とか、おしゃれこじらせて変になってるとか、そういうチャチなことではない。服装の話だけではないけれど、おしゃれなモノは好きだ。どんどんみんなおしゃれにしてほしい。ただ、俺はダサくてもいいのかもと思うのだ。難しい話。自分にしかわからない話。

おしゃれな女性が好きだと思っていたのだが、いざ実際目の前に現れると、ちょっとダサいくらいの方が魅力的に見える。

自分の思う最大限のおしゃれをして出かけようとすると、どこか気恥ずかしい気持ちになり、地に足がついていない感覚になる。身の丈とはなんであるか。器量とはなんであるのか。目ん玉が飛び出すような刺激は、そんなにない。ならば、平凡に魅力を見出し生きるか?いや、それもありきたり。ならダサくいってみよう か。野球選手もどんだけ活躍し打ったって、4割はいかない。6割以上は凡退している。だがぼくは野球選手じゃない。活躍しない6割を生きる。

 

 

 

9.10

久しぶりに会った人と、うまく交流できず、落ちる。与えられた奇跡を、輝かすも腐らすも己次第。半端に入ったアルコールが虚しい。山手線は大体新車両になってしまった。無駄に明るく、無駄に親切で、こんなの何の意味があるんだろうと思う。


毎年夏の終わりは色々しんみりしてきてしまうけれど、今月は親しい友人の結婚式があったり、来月頭もまた別の人の結婚式の二次会に呼ばれたり。まだまだ楽しいこともある。


それと、10月にライブが決まりました。少し風変わりな企画に。自分は自分の為だけに、全てを出し尽くすようなライブをする、それだけです。