12.9

誰の為でもなく自分の為だけに。自分一人の為だけにライブをする、ということをとにかく言い聞かせる。誰かに届けよう、などという欲が出た瞬間、歌は鈍る。

明日もそれを守りたい。

明日のライブは昼12時からなので、早く寝ないといけない。歌に必要なものは十分な睡眠。はっきり言って、それだけ。

12.7

今週日曜はライブ。おそらく今年のライブ納め。イベント自体が長丁場なので、持ち時間は20分。その20分に歌いたい歌を収められるか試行錯誤しているときだけ、俺は歌が好きなのかもと思う。20分で自分の全てを知ってもらおうなんて、そんな無茶苦茶な話はない。一端に触れ、何か思う。そして、次の瞬間には忘れているような、そんなライブでいい。

 

今、22時前。三軒茶屋の鳥貴族。スタジオに行くと空いているのが22:30だと言われたので、とりあえず飲酒している。それから、という安い麦焼酎ソーダ割りを飲む。三杯目。だいぶ酔ってきた。酔うことに、さして意味はない。価値もない。簡単なトリップ。いくじなしのショートトリップ。

11.6

近頃は天気も良く、秋晴れ気持ちよく過ごせていそうだと思わせておいて、どっこい俺の心は今ひとつダウナーである。ただ今週末に迫ったライブに向けて、日々じわじわとその時を待ってる。(練習をしなければ)

夜、スタジオの帰り道、人気のない路地、駐車場の角を曲がり公園の沿道を自転車で帰るとき、どうしてあんなに寂しい気持ちになるのか。謎は解けない。ホームズにもコナン君にも解けやしないだろう。わかってたまるか、とも思う。

 

 

 

エンケンさんが亡くなった。それまでエンケンさんの存在は一応知っていたが、初めてちゃんと興味を持ったのは高校生の頃聴いた、曽我部恵一BANDの一番最初のLIVE盤に入ってるMCだった。39秒のトラック。

 

「ある日、エンケンさん家へ遊びに行った。どうやったらエンケンさんみたいに、いくつになってもそんな風に歌えるんですか?って聞いたんだ。そしたらエンケンさんはこう言った。曽我部くんそれはね。ずーっとね、君のこと好きだよって、だれか女の子にね、君のこと好きだよっていう気持ちでね、歌えばいいんだよ、それだけでいいんだよ。って言ったんだ。それで俺が作った曲、君の愛だけがぼくの♡を壊す」

 

と言って、一気呵成にバンドサウンドが鳴り始める。その曲はとてもシンプルなラブソングだと、初めて聴いた高校生くらいの俺は安易に思っていたけれど、今聴くととても寂しい。永遠につきまとう不安をロックンロールに掻き消してほしいと願うような、戸惑いや焦燥がある。

 

「ぼくはきみのこと好きだよ きみはぼくのことが好きかい? / ぼくはきみのこと信じてる きみはぼくのこと信じてる?」

 

エンケンさんの言う通り、好きだよという気持ちを一方的に持ち続けることは、本当はなかなか出来ないことだ。

人はみんな他人なんだなと思っている。友達でも、恋人でも、家族でさえも。人の心は永遠に分からないものだ。それでも、エンケンさんは優しいその心で、残酷さを持ってして、思いを伝えようとしていたのかなと思う。

 

それからエンケンさんの曲を聴いたりライブの動画を観たりしたのだが、初めて触れた時はその過剰さに、その切実さに、なんなんだコレ?と理解できなかった。これは音楽なのか?とも。「カレーライス」も最初はピンと来なかったし「満足できるかな」も、なんか怖いなぁという印象を持ってしまった。

 

ただそれからぼくもそれなりに経験を経て、いろんなことを思ったり考えたり味わったりしてきた。するとある時から、少しずつエンケンさんの歌の中に眠る気持ちがわかるような気がしてきて、あれくらいめちゃくちゃにやることが誰かに何かを伝えるということなのかもと思えてきた。どうせ人の心などわかるわけがないのだから、という諦念を持って、わがままに自分勝手に、自分の全てをさらけ出すことが、本当はどれだけすごいことか。紛れもなく音楽であり、コミュニケーションだと言える。そんな突き抜けてしまうほどの寂しさをエンケンさんは持っていたと思う。その思いは曽我部さんにも継承されていて、(本当に)勝手ながら、ぼくもその気持ちを学んだつもりでいる。

 

今になってまた「満足できるかな」を聴き直す。わかったようなわからないような、不思議な気持ちになる。でもぼくなりの解釈をする。そこにある愛の深さ、業の深さ、そんなようなものが、ほんのすこしわかる気がしてくる。それだけでいいんだと思う。

11.5

酒の誘いも断りスタジオへ。誘ってくれた後輩には悪いことをした。でもどうしてもスタジオに入っておくべきだった。というかここ数日、飲む気になれない。

そもそも、あまり頻繁に飲酒するということはない人間だったのだ。週末、友人らと会ったら飲む程度で毎日なんて以ての外、平日は誘われでもしない限り飲まなかったし、それで平気だった。少し仕事が疲れた日は、家で缶ビールを1本飲んだりすることもあるが、それだけ。なのだが、ここ最近はなにかと理由付けて飲酒するようになってきてしまった。寂しいのかもしれない。暇なのかもしれない。なんだかよくわからない。そしてまた戻りつつある。頼らないように、しているのかもしれない。

 

誰とも連絡を取らず、ひとりでスタジオに入る。極めて事務的に受付を済ます。広いスタジオで、小さな音でギターを弾く。

終われば、お金を払い自転車で夜の街をゆっくりめに走る。どこにも寄らない。家に帰れば布団の上。今日スタジオでやったことをぼんやりとおさらいしたり、テレビを見たりして、寝る。

連絡をしようかと思う人はいる。というか別にしてもいいのだ。そういう関係。でもやめておく。大人なのだから。最近、大人なんだ、と意識する。いや27なんてまだまだガキだとわかってる。でも大人なんだ、と意識的に思うようにしている。そうすると、色んなことに耐え忍ぶことが出来そうな気がしてくる。ひとりでもやっていけそうな気がしてくる。

歌を書くことくらい、俺でもできる。

10.29

アレハンドロ・ホドロフスキー監督「ホーリー・マウンテン」観る。人に勧められない映画の名に違わぬ、超カルト映画。が、エネルギーに満ち溢れている。観る人の事を考えていない映画が好きだ。自分の作りたいものに愚直なものは美しい。

こんな映画、他人に勧めたら、ふざけんなと怒られそうだからおおっぴらには言わないけれど、みんなに観て欲しい。ラスト手前、師匠が主人公(?)の盗賊を帰らせるシーンが、心に残る。そのあとのラストシーンは、ぽかんと口が開いてしまう。メッセージなどというものは勝手に受け取るものでしかないと、改めて思う。

10.27

明日から珍しく土日連続休み。が、予定は無くちょっと家でゆっくりとしてみようと思う。曲も作りたいし。夜になると飲酒しに出かけたくなるかもしれないが。

DVDを観ようと思っている。最近、少し離れていた。こないだ、TBSラジオ宇多丸のウィークエンドシャッフルで「スピルバーグ総選挙」という企画をやっていて、スピルバーグ熱が。というか、俺はスピルバーグ作品をほとんどちゃんと観ていないと気付き色々借りてくる。プライベート・ライアンシンドラーのリストE.T.ジョーズジュラシックパーク。改めて凄いラインナップ。


とあるミュージシャンのブログを読んでいると、自分と同じことで悩んでいると分かり少し安心する。あんまりいないようで、意外といる、同じような人。

10.24

とにかくめちゃくちゃ良い曲を書かなければ、という極めて果てしのない渇望が常に脳を巡っていて、コイツが空気読めず前に出てきてしまうと、本来の自由で朗らかな作曲活動が出来ない、という恐ろしいループに入ってしまう。こうなると堂々巡りの果てに大した成果も出さず今日はもうやめ!とふて寝するのが関の山である。

気持ちというのも毎日の中で絶えず変動するもので、その僅かなアレをなんとか捕まえたはいいものの、気付けば手の中から消えてしまっているということも多々。虫かごに入れても無駄、軟禁してもダメ、なぜなら気持ちというものは姿形のない幽霊と同じだからである。いるの?いないの?いるなら返事してー!という話である。いやそんな話ではない。

つまりは単純に、曲作りがやや難航。今ある曲では、少し足りない。ライブまであと2週間とちょっと。