8.14

昨夜は久しぶりに大学時代からの先輩でもあり友人の宇都宮さんとゆっくり飲んだので、つい深酒をしてしまう。他の先輩なども合流して、結局朝まで。始発で帰る。高田馬場駅のホームから見る朝焼けはきれいだった。

14時ごろ目覚める。今日はお盆休み最終日。

 

銀行に急いで行って払込をしてから、家でギターを弾いた。思わず、曲が出来る。ここ数日で、弾き語り用の曲が一気に出来た。歌詞もすらすらと。ライブがしたくなってくる。

その後はだらだらと家でDVD。「野性の証明」を観る。前から観たかった。角川映画がバンバン飛ばしていた時期。初めはサスペンスだが、なぜかだんだんとねじれていき、ラストは戦車もヘリコプターも飛び出すアクション映画に。こんなトンデモ展開は嫌いじゃない。でも終盤、横たわる薬師丸ひろ子の隣で銃弾を装填する高倉健の表情と言ったらない。凄まじい顔。ここだけでも、この作品には価値がある。

 

夜は池袋で後輩、というか友達と飲むことになっている。

なので少し早く出て、今日も今日とて「美しの湯」で汗を流してから行くことに。清野とおるの「おこだわり」内で取り上げた、基礎体温プラス1度理論は本当なんじゃないかな。サウナと水風呂を往復して、しっかり悪い汗を出して体温を上げると、些細なことは気にならなくなる。前向きな思考になっている。

現在、サウナに向かう井の頭線の中でこれを書いている。車内はいい涼しさ。夕方の空はきれいだ。早く風呂に入りたい。後輩たちは気持ちいい連中。ゆっくり会って飲むのは久しぶり。楽しみ。

 

 

本当は、ここ最近起きたことを書こうと思っていた。企画が終わってから、色んなことが起きて、だいぶ参っていた。が、意外にも充実した休みが続いたので、書く暇が無かった。気がつけば、沈んだ気持ちは無くなっていた。持つべきものは友人(とサウナ)である。

 

高井戸に着いた。いい日暮れ。サウナ直行ではなく、露天風呂を覗いてみよう。

8.12

美しの湯へ行く。サウナと水風呂を3往復。途中、露天風呂に出て外気浴。

1時間ほどの小旅行。小さなトリップ。宇宙に最も近い時間。オッサンの汗が玉になり、きれいに光る。ノイズが静かに響いている。

 

出て、生ビールの小。300円。恐ろしいくらい冷えている。喉を突き抜けるような感覚。一気に飲み干したくなるが我慢して3割残す。そこで携帯をようやく見る。特に誰からも連絡はなし。日曜日って感じ。

 

もう一杯飲みたいところを、抑えて帰宅。明日もまだお盆休みなので、夜更かししてDVDでも観たいが、多分寝ると思う。

8.7

下北沢からすぐ近く、代沢小学校という小学校がある。緑道が通っているあたり。そこには坂口安吾の記念碑がある。彼はこの辺に下宿していて、この小学校で教員をしていた。

ぼくは世田谷の生まれなので、何度も何度もこの緑道を、小学校の脇を、通っている。小さい頃から。ただ記念碑をゆっくりと見たのは初めてだった。記念碑にはこう書かれていた。

 

『人間の尊さは 自分を苦しめることにある   安吾

8.5

ガラガラの日高屋。下北沢。19:25。ここの日高屋はメシ時には全く混まず、終電以降グッと人が増える。

ビールを一杯。よく冷えている。ほんのり酩酊し始めた脳で、昨日のことを思い出す。

 

たくさんの友達と会って、楽しい時間を過ごすと、翌日は決まって寂しくなる。そうなると、これからは友人のライブにたくさん顔を出そうかな、とか思ったりする。

でも分かるのは、それで行くのは本当に最初だけで、あとは行かなくなる。なぜか。つまりは寂しいだけで、ライブを観てもそれは解消されないからである。バンドの人たちは皆、それぞれやることがあって、部外者の俺は、隅っこでライブハウスの臭い酒をチロチロ飲むだけ。「ほんじゃ俺帰るわ」と言うと、友人は「今日は来てくれてありがとうございます、また飲みましょう」と言ってくれる。その言葉を最後まで聞かず、踵を返し地上に出ると、また途端に所在がなくなり、電話帳から友達の名前を探し、連絡し、誰か飲める人を探す。が、そんな時間からは誰も捕まらない。

 

企画を、ライブをしてるとき、確かに俺はそこに存在していて、充実していた。これが次に繋がるか。未来には何があるのか。楽しいことだけ、なんて理想でもなんでもない。俺が求めたものはなんだったのか。誰かにそこにいてほしい。多分それだけ。

 

 

日高屋で、音楽なんて聴きたくない。隣の客の、注文のボソボソとした声を聴くだけでいい。それがひどく落ち着く。

7.31

今、電気の消した部屋で携帯をぼんやり見ていて、うとうとしていた。

そのとき、明日から新しいことに挑戦する人のことを思い出す。うまくいくだろうか。心配してもしょうがないんだけど。でも、とにかく、頑張れ。と思った。そしてその瞬間に、触っていなかった携帯の画面がフッと消え、完全な暗闇になった。その時、はたと、俺は今心から誰かのことを考えていたとわかった。一切の曇りのない気持ちで。

このまま眠ろうと思ったが、ここに書いてしまった。この瞬間、この尊い気持ちは汚れてしまうかな。もちろん、俺がここで何をどう思ったって、それは届かない。でも心から何か思うことは、なかなかできることじゃない。

7.30

今日は何度もこの日記を書き直してる。書きたいことはある。あるけれど、うまく言葉にできない。そんな思いが日々にはあって、それはきれいごとや納得できるできないとかだけじゃない。もっと複雑で、結び目がまた結び目を作り繋がっていく長い長いロープのような。

 

なんとなく言いたいことは、なんとなく消えてしまう。どうしても言いたいことは、上手に言えなかったり。カレーはうまい!とか、眠いからたくさん寝た!とか、シンプルな気持ちは大切だけれど、例えば楽しいことだけ とか、一番大切なことを とか、言われるとしらけてしまう。楽しくなくったって、大切かどうかわからなくたっていいじゃないか。言葉に、思いに、ポジティブもネガティブも、ストレートも変化球もない。もっとぐちゃぐちゃで混沌としたモノ。それこそがピュアであり、誰にも解き明かせない「心」だ。

 

今日もスタジオに入る。演奏はかなり良くなったと思う。だいぶ仕上がってきた。でもそれでもきっと、というか絶対に、下手くそだと思う。下手くそなりにやってる。でも我ながらよくやってる。そう思う。ミスもある。毎回。そもそも弾けてないんだもん。それを肯定するつもりもないけど、それが僕らだし、それしかできない。

 

 

曽我部恵一のブログを最新のエントリーからずっと遡って読んでる。今2010年の冬くらい。曽我部さんは今はもうネットに日記は残さなくなった。代わりに誰一人として他人には見せない本当の日記を家でつけてるのだそうだ。そこにはきっと虚栄も自意識も見栄も外聞も、恥も、見てくれも、へったくれもない、裸の言葉たちがあるのだろうか。

 

あるエントリーで、かつてまだ小さい「ぼく」と親父が日曜日の昼にラーメンを食べに行った話が書いてあった。

親父は息子に決まって「うまいか?」と聞く。ぼくは「うん」と、うなずいていたと思う、と。

 

ただそれだけのエピソード。でもこういうのが読みたくて、ずっと読んでいる。