7.15

今日は海の日だったというが、あいにくの空模様で梅雨の抜け切らないなんとも寒々とした日だ。おれは朝から仕事に行った。

 

イヤホンが断線したので、新しいものを買いに行く。この行為をおれは何度、何年繰り返しているのだろう。使う頻度も多く仕事中にも使ったりするので、さらには使い方が荒っぽいのだろう、どんなものを買っても1年保つか保たないか。安物の場合は半年保てばいい方。大概、片方の音が出なくなる。きっと単純な断線で、見る人が見ればあっさりと直せるかもしれない。が、おれはここで買い換える。無駄なことをしてるのかもしれない。が、それが染みついている。

おれはオーディオオタクではないし、イヤホンに金をかけるのも馬鹿らしいとは思っているが、必要最低限の音質は無いと困る。なんでもいいわけではない。こんな人間はたくさんいると思う。

 

仕事終わりに有楽町のビックカメラに行き、それなりに試聴した結果、5000円ちょっとのモノを買った。おれの中ではなかなか冒険した方だ。イヤホンの沼は1万円台のモノから、とかなんとか言ってる人たちもいるが、よくわからない。5000円あれば何ができたろう。じゅうぶん大層な買い物だ。

帰り、駅のホームの自販機でコーラを買った。なんだか思った以上に甘ったるくて、一口で満足した。

 

今から下高井戸の月見湯温泉へ行く。ただでさえ人の多い銭湯、祝日だしもっと混んでるかもしれない。でもそんな乱雑な輪の中でこそ、ひとりであることを強く感じる。今日はそんなところに身を寄せたい。

6.26 2

7/6の弾き語りライブに向けぼちぼち曲を練習していたら、新しい曲ができた。たった一瞬の出来事について書きたくて、頭の中に同時にメロディも詩も浮かんで、あ、これは書けると思って一気に書いた。ギターと合わせ、細部を詰め、すぐ完成。こういうことは、本当にたまにある。バンドではできないと思うほど、ちょっとベタでシンプルなメロディだが、自分の中にあまりなかった新鮮な魅力とずっと昔に聴いたことがあるような追憶とが同居する、理想的なイメージがある。

全然ライブをしなくなっても、新しい音楽に熱中しなくても、思い出したようにこうしてたまに曲だけは作り続けるのかなとなんとなく思う。曲作り、なんて普通の人からしたら何それ?というようなことで、趣味の範囲を出ないと思われるだろうが、趣味こそ本気でやれと言ったのはタモリだが、こういう風に自分の中で良い曲が出来た時は別に誰に披露するからとか、曲としての体裁を整えなければとか、そんなことから完全に離れ、自分の中にだけ潜むモノと対峙する。これはまさしく趣味だろう。自分の為だけに、やること。非常に有意義だと思ってる。

ここで、簡単に録った曲をアップしたり、歌詞を載せたりでもしたら、グーンと音楽活動的には広がりを見せるのだろうが、そうはしない。そんなことはしない。

6.26

大して実りのある会話をしていたわけでもない、でも確かに何時間も平気でいっしょにいられたわけだからなんかしらの話題があったのだと思う。なんとなく口にした、ひとつの話題に対し「それ、面白いですね」と、まったく面白くなさそうに言った時、あ、俺たちは自分と会話してんのかもなと思った。でもそれでよかった。そんな関係でいられることは貴重だ。誰かに寄り添うなんて、暇じゃなきゃ出来ない。自分のことだけ考えてればいい。そんで自分のことだけ考えてるやつと会えばいい。話せばいい。

6.24

昔は、いくつになってもギラついてるおっさんダセーなと思っていたが、中途半端に悟った気になって達観してますよみたいなのもダサい気がしてきた。結局自分に向き合ってる人がカッコいい。周りは関係なく、かといって全て突き放しているわけでもなく。自分を分かっているということ。ただそれはなかなか難しい。他人を理解することは、思い込みひとつでどうにかなるが、自分を知ることには、嘘がつけない。

 

印象なんて、考え方ひとつでどうとでも取れると分かったのは、恥ずかしながら最近。

 

 

自分がやることやったことを、楽しんでくれたり面白がってくれる人がいるというのはとても幸せなことだ。嬉しい気持ちになる。これはすなわちツイッターのバズる快感に近いのかもしれないが、俺は近くの人間、言ってしまえばたったひとりでも楽しんでくれればそれでいい。そこにはささやかな喜びがある。

6.19

昨夜、あまり眠れず。寝た時間はあまり覚えてないが、4時過ぎと6時過ぎにそれぞれ目が覚める。最終的には7時50分ごろ目が覚めて、8時50分に家を出ればよかったので1時間かけて準備できるやんと思いながら、二度寝。(正確には四度寝)。起きると8時半で慌てて支度をして家を出た。出かけ直前、大急ぎでゴミをまとめ、出した。

 

昨夜の地震はなかなか強烈だったようだが、地震の類からしてその後も余震が来るようなものではないと浅い知識ながら思った。結果その通りだったようだ。

津波注意報が出て、自分の母方の実家は山形なのだが、祖父母は亡くなっているし、叔父さん家族の家は山形市内で海からはだいぶ離れているのでとりあえず安心だった。

心配なのは恋人の実家が佐渡なので、急いで連絡を入れた。海の近くだと聞いていたので、焦ったがどうやら高台の山の方らしく、とりあえず大丈夫とのこと。まぁ冷静に考えれば、佐渡の人なんてみんな海の近く、なんだよな。

結局朝になって、また調べてみるとほとんど大きな津波は来なかったらしい。10cm程度のものが見られたくらいだという。なんやねん、という肩透かしと共に、大事にならなくてよかったという安堵。

 

東日本大震災のときに思ったことは、現実に起きてることこそ「実感がない」ということで、全てが悪い冗談のように思えてくる。そして時間が経ってから、起きたことの様々な余波が胸に押し寄せてくる。事実が淡々と入り込んでくることにひとつひとつ直面していくしかない。

過ぎていってからでは遅いので、別に大げさだろうが偽善だろうが、やれるべきことをやった方がいいし、連絡も入れるべきだと思う。

 

最新の情報が欲しい、と思ったときやはりツイッターで検索してしまうんだけど、有益なモノは大して無いし、現地の状況より遠いどこかの誰かのツイートばかりだ。ネタ的なモノこそ、さすがに不謹慎であると分かってるのか少なくなっているが、それよりタチが悪いのが、ネタにしてないけどバズり(嫌いな言葉だ…)を狙っているというものである。今回ならば、津波注意報の到達予想が出たときに、他の地域では時刻などが表示されていたが、佐渡だけ「すぐ来る」という到達予想が出されていた。これは、本当に怖いことだと思うのだが、ネット上ではやはりこの「すぐ来る」という言葉のパンチがネタになると思う人が多かったようで、これをツイートしてる人はかなり見られた。もちろん、「すぐ来る」ってやばいじゃん、急いで避難してください、と心配して出た言葉もあるが、笑ってるような内容のものも多かった。

結局当事者にならなければ、対岸の火事でしかないし、物事の受け止め方など人それぞれだ。優しい人であれ、思いやりを持て、などと言いたいわけでは決してないけど、いつ、どこで、自分に現実味が無いくらいの出来事が降りかかるか分からないぞ。という思いに最近はより強く感じさせられる。

ま、これも感じてるつもり、なのかもしれない。