2.19

グッと耐える。起伏は激しくなりかける。でもなるべく平坦なライン。まだ大丈夫。すぐ普通の生活に戻る。戻す。俺はこれが得意なのかもしれない。すぐ現実に。いや、みんな同じだろうな。

 

文字を書くのは面倒なことだ。ある程度体裁のとれた文章を綴ることは。別に言葉にしなくていい、文章にしなくていいとは思ったりもするけど、でも何かこう伝えたいような気持ちもある。

先日、ディズニーランドに行ったことをずっと丁寧に文章にしていたけれど、長くなった末にまとまらず保留。これも書きたい。いや、書かなくてもいいのだが。何も伝えることなんてないのだが。でも残しておきたい、記憶が、本当は頼りないと知ってるから。記憶の残滓に漂うムードが全てだと、信じているけれど、最近忘れることも多い。

 

土日月と三日間、休みをもらって福岡へ。友人宅に泊まらせてもらった。特別なことは何にもしない。でもたしかに楽しかった。記憶に残る数日間だった。帰ってきて、家の布団。もう寝る。

お土産の袋、そっと置くとき、一瞬の逡巡がある。何が心配なのか。毎日さざ波のように小さく寄せて、動いている、心の機微を思う。

2.8

久々にスタジオに入る。バンドを合わせたときの純粋な楽しさというのは、音楽の活動や創作とは微妙に異なるモノなので、それが久々に味わえて嬉しい。まだその段階にいっていない、原始の感覚。そして徐々に見えてくる戸惑いや違和感も、あぁこんな感じだったなと、楽しめている。先を見据える。

 

最近詩を書くとき、後々見て、なんでこんなこと書いた?と思うようになってきて、面白い。自分の表現したいことが少し変わってきて、それを発露する前に少し噛み砕く必要がありそう。

 

 

1.26

予定が詰まり、時間の調整をしているときが結構好きだ。仕事、何時に終わったら、何時までにここ行って、そしたら何時くらいからあれに参加できて…それなら、新宿出た方がいいか、一回帰るか、などなど、頭を張り巡らせることが意外と好きだ。こうなると、「よし、じゃあまずなんにせよ仕事ソッコー終わらせたろ」というマインドになり、頑張る傾向にある。健康的だ。が、往々にして自ら掲げた理想のタイムスケジュール通りに事はいかず、ひとつ遅れまたひとつ遅れ、歯車が狂い出す。こうなるとなんともブルーだ。悲しい気待ちになる。これは避けたい。避けるには、無理な理想を掲げないことだ。現実を直視する。受け入れる。無理なことは無理と理解する。これがなかなか、わかっちゃいるけど抗いたくなってしまったりする。

 

iPhoneのSEという機種を使っていてそこそこ新しいつもりなのだが、形は5に似ている為、随分古いの使ってるね、などと言われることが多々。別にそれを言われることはどうでもいいのだが、最近どうもバッテリーの持ちが悪い。朝マックス充電していても、昼頃には60前後まで減る。経験上、ここからバッテリーの持ちが加速的に悪くなっていくのは知っているので、そろそろ買い替えも視野に入れ始める。が、今iPhoneは高い。これを機にいっそ辞めようかと考えている。が、このご時世LINEやらなんなら無くなると不便なことは多い。かといって、androidスマホは以前一度使ったことがあるが、どうにも使いにくく性に合わない。となると、iPhone一択ということになるのだが、なんともイマイチ新しいやつを買おうという気にはならない。乗らない。気が。

とりあえず今のやつを使い続けるが、壊れてから買い替えの算段に入ると不便が多く泣きを見ることは、経験上火を見るよりも明らかなので、なんとか使えてるうちに買い替えたい。

などという話。

1.25

夕方、16時には仕事が終わった。昼飯を食べていなかったので、ラーメンでも食いたいと溝の口の「まっち棒」に行くことに。が、夜の部が18時からだったので、軽く飲酒。晩杯屋で立ち飲み。溝の口の晩杯屋は割と最近できた方だと思うのだが、すでになかなかの衛生面の低さを放っており床には揚げ物のカスが落ちていたり、箸がベタついていたり。が、俺は気にしない。隣のジジイも気にしちゃいない。

ゴールデンチューハイを3杯、野菜天、たくあん、菜の花で〆。少し時間があったので、すぐ近くのゲーセンに。ゲーセンはなぜか寄ってしまう。別にゲームをするわけではないのだけど、あの明るさに吸い込まれてしまう。

その後、ラーメン。「まっち棒」は昔、池尻に店を構えていたがいつのまにか消え、溝の口に移転していたよう。池尻にあった頃はよく両親に連れられて行ったりしていた記憶がある。小学生とかだったような。27になって食べたラーメンの味は、別に懐かしくもなんともなく、普通にうまかっただけだった。

1.23

この日記が新年に入ってからまったく書きたい気持ちがなくなっていたので「こんまま終わっとこかな」と思ったが、まぁ別に終わらせる理由もないのでこうして気が向いたら書く。

 

最近は割と映画館に行く。映画館に行くというのは、ちょっと特別な気持ちになる。ちょっとした贅沢をしているような。2時間優雅に使っちゃうわよ、という気持ちになる。あの独特の匂いの劇場に入り、シートに沈み、予告が始まる時の感覚というのはなんとも言えず高揚するものだ。

銭湯も然り。相変わらず銭湯(及びサウナ)にも赴く。一度入ると一時間以上は入っているので、これもなかなか贅沢な時間の使い方である。サウナ、水風呂、休憩の三点法を繰り返していると、無になれる。本もスマホiPodもロッカーにぶち込んでしまい、裸一貫何にも持たないで瞑想することの気持ちいいことよ。映画もそうだが、少し現世から離れたいという気持ちが良いのかもしれない。

あとは家でゲームセンターCXを観たり、マツコ有吉のかりそめ天国を観たりしている。かりそめ天国は、正直怒り新党に戻してくれという気持ちは未だにネチネチと持ち続けているのだが、だいぶ慣れてきた。二人のトークが売りなはずなのにお悩み相談が減りVTR多めになったのが最大の不満なのだが、元々が贅沢だったのかも、と思いながら観ていると楽しめるようになってきた。VTRもそれはそれで観ると楽しい。ガンバレルーヤ阿佐ヶ谷姉妹などの準レギュラーも光る。

あと松屋のカレーがうまい。松屋のカレーは独特だが普通にうまい。カレー屋として出しててもおかしくない。銀座カリーのような、インドカレー的スパイシーさと欧風カレー的な深みが同居していて、普通に名品。ハンバーグカレーにすると尚良し。ココイチゴーゴーカレー的な店とはまったく一線を画していて、カレー屋の選択肢として、全然アリである。

 

12.28

仕事納めの12月28日。集中していたおかげか順調に片付き、17時には退勤できた。

車で帰れることになったので、ぼーっと助手席で携帯なんかを見ていて、パッと顔を上げるとびっくりするくらい綺麗な景色が見えた。なんてことのないただの路地、アパートやコンビニの並ぶ向こうには陽が沈むところだった。濃紺とオレンジがキャンバスに描いたようにはっきりとしたグラデーションで、そこにスーッと伸びる電線が影絵のようになっていた。フロントガラスから街の絵が見えた。年末のキリッとした冷たい空気。仕事納めで少し浮かれた人たち。息を呑むような一瞬の後に、交差点の「北新宿三丁目」という標識を見る。ここは新宿なのか、と思う。そのあと小さな橋を渡り、山手通りに出る頃にはもう夜に変わってしまっていた。そのとき、たまたまラッキーオールドサンの「すずらん通り」という曲を聴いていたが、あまりにマッチしていて少し涙が出てしまった。ここ数日少し考えていたことがスッと晴れるようなそんな気持ちさえあった。状況は変わらないかもしれないが、気持ちが晴れるということだけで、救いがある。

連絡が来ていて、今日はこのあと家に行く。明日から休みなのでゆっくりできる。向こうは遅くまでバイトなので、銭湯にでも行こうと思う。サウナで知らないおっさんたちとテレビを見て、玉のような汗をかくとき人知れず、俺はひとりここで生きているという実感がわく。

12.26

小さな部屋に大きな絵、何の言葉も発さずにそこに佇んでいる。それがひどく安心するような気がして、当たり前のように馴染んでいる。当たり前とはなんだ、普通とはなんなんだ。サインは出ている。メッセージは受け取るか否か。何にもできないと思うことは、何かしようと考えたということだ。生きるために。