11.6

近頃は天気も良く、秋晴れ気持ちよく過ごせていそうだと思わせておいて、どっこい俺の心は今ひとつダウナーである。ただ今週末に迫ったライブに向けて、日々じわじわとその時を待ってる。(練習をしなければ)

夜、スタジオの帰り道、人気のない路地、駐車場の角を曲がり公園の沿道を自転車で帰るとき、どうしてあんなに寂しい気持ちになるのか。謎は解けない。ホームズにもコナン君にも解けやしないだろう。わかってたまるか、とも思う。

 

 

 

エンケンさんが亡くなった。それまでエンケンさんの存在は一応知っていたが、初めてちゃんと興味を持ったのは高校生の頃聴いた、曽我部恵一BANDの一番最初のLIVE盤に入ってるMCだった。39秒のトラック。

 

「ある日、エンケンさん家へ遊びに行った。どうやったらエンケンさんみたいに、いくつになってもそんな風に歌えるんですか?って聞いたんだ。そしたらエンケンさんはこう言った。曽我部くんそれはね。ずーっとね、君のこと好きだよって、だれか女の子にね、君のこと好きだよっていう気持ちでね、歌えばいいんだよ、それだけでいいんだよ。って言ったんだ。それで俺が作った曲、君の愛だけがぼくの♡を壊す」

 

と言って、一気呵成にバンドサウンドが鳴り始める。その曲はとてもシンプルなラブソングだと、初めて聴いた高校生くらいの俺は安易に思っていたけれど、今聴くととても寂しい。永遠につきまとう不安をロックンロールに掻き消してほしいと願うような、戸惑いや焦燥がある。

 

「ぼくはきみのこと好きだよ きみはぼくのことが好きかい? / ぼくはきみのこと信じてる きみはぼくのこと信じてる?」

 

エンケンさんの言う通り、好きだよという気持ちを一方的に持ち続けることは、本当はなかなか出来ないことだ。

人はみんな他人なんだなと思っている。友達でも、恋人でも、家族でさえも。人の心は永遠に分からないものだ。それでも、エンケンさんは優しいその心で、残酷さを持ってして、思いを伝えようとしていたのかなと思う。

 

それからエンケンさんの曲を聴いたりライブの動画を観たりしたのだが、初めて触れた時はその過剰さに、その切実さに、なんなんだコレ?と理解できなかった。これは音楽なのか?とも。「カレーライス」も最初はピンと来なかったし「満足できるかな」も、なんか怖いなぁという印象を持ってしまった。

 

ただそれからぼくもそれなりに経験を経て、いろんなことを思ったり考えたり味わったりしてきた。するとある時から、少しずつエンケンさんの歌の中に眠る気持ちがわかるような気がしてきて、あれくらいめちゃくちゃにやることが誰かに何かを伝えるということなのかもと思えてきた。どうせ人の心などわかるわけがないのだから、という諦念を持って、わがままに自分勝手に、自分の全てをさらけ出すことが、本当はどれだけすごいことか。紛れもなく音楽であり、コミュニケーションだと言える。そんな突き抜けてしまうほどの寂しさをエンケンさんは持っていたと思う。その思いは曽我部さんにも継承されていて、(本当に)勝手ながら、ぼくもその気持ちを学んだつもりでいる。

 

今になってまた「満足できるかな」を聴き直す。わかったようなわからないような、不思議な気持ちになる。でもぼくなりの解釈をする。そこにある愛の深さ、業の深さ、そんなようなものが、ほんのすこしわかる気がしてくる。それだけでいいんだと思う。

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