3.12

先日、竹橋からほど近い国立近代美術館で「熊谷守一 生きるよろこび」という展示へ。彼の97年の生涯に迫った見応えのある展覧会だ。

初めの若い頃はズッシリとしたトーンの描き込んだ絵も見受けられるが、あとはずっと何の気なしに描いたような、サイズもあまり大きくない風景画が大半となる。きっと暮らしの中に絵を描くということが根付いていたのだな。と思ったが、だんだんと同じような構成、モチーフの絵を見続けていくうちに、何が彼をこのように絵を描き続けさせているのだろう、と思う。そう思うと、彼の描く線ひとつひとつに迫るものがあり、自分の息子が死んだ時に描いたという絵は「残さなければと思ったが、途中から『絵を描いてしまっている』と気付き、やめた」とあった。彼は暮らしの中に絵が根付いていたのではなく、絵を描くことこそが生きる全てだったのかも、と思った。

晩年、加齢であまり遠くに風景画を描きに行けなくなってからは、庭に咲く花、そこに群れる蝶、野良猫ともっともっとモチーフはミクロになっていくが、それでも描き続けるということ、そしてその線に嫌が応にも彼自身の年輪のように重なってきた人生が乗る。そこに飄々としながらも、確かな意思を感じる。

展示の最後、90歳近くなり描いた晩年の絵が飾られるが、そこに並ぶのは数枚のほとんど似たような絵。丸い円が重なったようなモチーフ。それは太陽の光の円環だという。彼が描く対象はここまで来たのだ。絵を描くという業に取り込まれた人生というものに言い知れぬパワーを感じる。が、ひどく温かさもある。のんびりとした、一人の老人の絵だという気もする。その不思議な感覚に、しばし呆然としながらも、外へ。出るなりショップではポストカードやクリアファイルが売られていて、皆それを一様に見ている。ぼくもそれを見て、中で見て気に入った稚魚の絵のポストカードを買った。レジ打ちのおばさんとの当たり前のやりとり。誰かの作品に向き合うということは、その人の内面に触れるということ。宇宙の一辺に触れること。ここにズブズブと入り込むことは、本当は恐ろしく勇気のいることだ。あっさりと、いまの現実に引き戻してくれるのに、このショップの俗っぽさはとてもありがたい。

外に出ると、夕方。春が来ているが、風はまだ少し冷たい。